ショッピングモールで見かけた着ぐるみ。
何の変哲もない、普通の着ぐるみかもしれない。
しかし僕の胸は激しくキュンとなった。
何故か。
中の人の覗き穴と思われる部分が、長い口の奥の方にあるのだ。
もし瞳が覗き穴でなかったなら、相当視界が悪いのではないだろうか。
実は自分もこの様な構造の着ぐるみに入ったことがある。
馬だったかサイだったかワニだったか、忘れてしまったが
こんな風に覗き穴の覗き口が、自分の顔より相当遠くにある着ぐるみ。
当然ながら頭は重く、バランスを取るのも大変。
しかし外が見える部分が離れているから、正面を見ようと思うと無理にでも顔を上げなければいけない。
頭部全体を包んでいるから、外の声もよく聴こえない。
その遠くにある覗き穴から見える、はるか遠くの外の世界と
かなたに聴こえる
「この暑いのに、大変だねえ」
という声を聴くと
なんとも言えない孤独感を覚えたものだ。
でもそれはとても心地よい孤独感だった。
大げさに言えば、
着ぐるみって、一種の臨死体験なのかもしれない。
着ぐるみに入った時、その視界の向うに見える外界は、
いわば「自分という人間がこの世に存在しない」というバーチャルな世界。
狭くて蒸し暑い空間の向うには
自分がいないどころか、自分を自分以外の魅力的なキャラクターとして扱う世界が繰り広げられている。
考えてみれば、人は普段から「自分」という着ぐるみを着ているようなものだ。
男という着ぐるみ、サラリーマンという着ぐるみ
きっと多くの人が、自分の今の見た目に、
言動や、行動や、性格が無意識のうち支配されていないだろうか?
もし自分の見た目が今よりイケメンだったり、可愛い少女だったりしたら、
自分の思考パターンは、きっと変っていたはずである。
僕らは、知らぬ間に「自分らしさ」の檻の中でもがいているのかもしれない。
実は着ぐるみは、
そういう叶わないはずのことを叶えてくれるという意味で、凄く劇的なツールなのだ。
自分を自分じゃない人間として扱ってくれる
たったそれだけのことかもしれないが
それは普段の自分にコンプレックス(劣等感という意味での)を持ってる人であればあるほど、
猶更魔力的な魅力がある。
それゆえに
多くの人が惹かれ
多くの人が恋い焦がれ
多くの人が妬み
時に衝突を起こす
何度入っても何度入っても
満足しないのは
そんな麻薬の様な甘くて鋭利な魅力があるからなのだろうか。
などということを、ショッピングモールのベンチで妄想していたら、
写真の着ぐるみはあっという間にひと仕事を終えて
控室に戻って行った
しかしやっぱり前が見えないらしく、アテンドのお姉さんに手を引かれて手さぐりで帰って行った。
周りのちびっこの声もあまり聴こえていないようだった。
それでも中の人は、
自分らしさという呪縛から解放されて
生き生きとそのキャラを演じているようにも見えた。