何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ。
よくよく見ると、アンパンマンのマーチの詞は深い。非常に深い。
「生きる」とは何かという、極めて哲学的なテーマを問う内容になっている。
何が君の幸せ、何をして喜ぶ。
わからないままおわる そんなのはいやだ。
そう、それは当り前のことだ。第一自分で何がしたいかわからないなんて、そんなわけがない。
だが、人は時として、そんなジレンマに陥ったりする。
一方で毎日自分のやりたいこと、楽しいことばかり出来ていても、そこから幸せは必ずしも生まれないような気もする。
たまに訪れる楽しみ、幸せだからこそ、それは幸せと感じられるのだろうか。
人は人、自分は自分、と割り切ってみたって、周りに必ず「他人」はいるものだし、
人はみな、一人では生きてゆけない。
周りがいるからこそ、自分が幸せと感じることもあるし、またその逆もある。
見たくないものだって、目に入ってしまう事もある。
目をつむれば生きることはたやすい。見えるものは誤解ばかり。
でも目を開けなければ、そこに喜びが転がっているのかも判らない。
俗にアンパンマンの着ぐるみは、軒並み視界が悪いと聴く。
たとえ目の前に見える世界が狭くても、私達は子供たちに幸せを与える事が出来る。
演者から、そんなメッセージも受けたように感じる。
ところでそんな視界が悪いらしい着ぐるみであるが、劇中こんな格好で出てきた。
左から二番目のキャラ(おくらちゃん)のコスプレなのだが、肝心の目をメガネで隠して、ただでさえ悪い視界、確保出来ているのだろうか?
バイキンマンは、確か歯並びの線が覗きになっている(こんなんでほんとに見えるのだろうか)のでメインカメラをやられたとしてもいいとして、ドキンちゃんとホラーマンは、恐らくメインカメラが目であり、かなり視界的な制限が加えられた状態での演技を余儀なくされるのではないだろうか?
しかしそんな雰囲気も微塵に感じさせず演技をするアクター(アクトレス)の皆さんには恐れ入る。
短い時間でのテント内での装着も含め、極個人的に非常にそそるシチュエーションを妄想してしまった。
(演ってるほうはそれどころじゃないだろうが)
時は早く過ぎる
光る星は消える
だから君は行くんだ、微笑んで
今年の僕は、どれだけ生きる喜びを感じられるだろうか。
で、とどのつまり言いたいのは、
「視界が悪い着ぐるみの上に、更に目隠しをされている状態」
が萌え、ということである。