やななが引退するそうである。
今やゆるキャラの大御所的存在であるキャラクターの引退とは、とあるクラスタでは相当の衝撃的ニュースではなかろうか?
しかし、ゆるキャラが引退って或る意味画期的である。
なぜなら
―こんなこと書いたらキャラクター原理主義の人に怒られるかもしれないが―
そもそも
ゆるキャラというは「替えが利く」はずのものなのである。
どういうことかというと、何も特定の一人がそのキャラを演じ続けなくてもいいのである。
逆に言えば、特定の一人が演じる必要がないからこそ、ゆるキャラ…いや、敢えてこのブログだから着ぐるみと言おう、着ぐるみの着ぐるみたるアイデンティティなはずである。
今日の●●ちゃんははじけてるねえ、
今日の●●ちゃんなんか棒立ち…
僕はこれも着ぐるみの一つの醍醐味だと思っている。
不特定多数の人間が、そのゆるキャラになれるからこそ、ゆるキャラなのである。
では何故やななは引退するのか?
あくまでも推測の域を出ないが
やななは演じる人がワンアンドオンリーなのではないか?
つまりその人がいなくなったら、やななが存在しなくなる。
真実は定かでないが
やななはきっと他の人気ゆるキャラと同じくらいの頻度で、精力的に全国津々浦々のイベントに顔を出していた。
また、他のゆるキャラと違って、30分で「おやつを食べにおうちに帰ります」という名の演者クールダウンもするわけでもなく、
下手すると新幹線の移動までも常にやななのを演じていた。
パートタイムな演者じゃなく、A Day in the lifeそのものがやななだったのである。
他のゆるキャラは或る意味、例えばその地域で中の人が替わっても存在できる。
やろうと思えば全国複数の地で存在を確認させることもできる。
もしこれと同じペースで一人が演り続けていれば、
それは個人の女性にとって相当な負担であろう・・・
これだけやななに身体と魂を捧げていれば
プライベートのかなりの部分をも犠牲にしていたのではないだろうか?
やななに己を捧げるのも悪くはない。
だってこれだけ嬌声と光を浴びていられるのは、自分がやななだからこそ
そしてそれを演じられるのは他の誰でもない、自分なのだけだとしたら
やりがい、手ごたえは相当なもののはず
しかしその一方で、自分としての生活、人生、
そういったものを、振り返ってみたくなるときもあったのではないだろうか
うまく表現できないが
そんな状態自体が萌えなのである。
女性がキャラクターに憑依する
これが胸キュンなのって、判ってくれますか?
(判ってくれないですよね、やっぱり変態です、すみませんw)
汎用性のあるはずの着ぐるみキャラが
一人の演者の引退をもって、一緒に引退をする。
これだけでも、何か特別な思いを感じるのである。
今回のやななの引退の理由について、
じつはわたしもまるっきり同じことを考えていました
「替え」が利かない「彼女(中の人)」だからこそ
いつも同じやななクオリティが出せていました
でもそれは同時にピンポイントにいろんなストレスがかかってしまう、
まさに諸刃の刃だったんですねえ