hanyu 116

やななが引退するそうである。


今やゆるキャラの大御所的存在であるキャラクターの引退とは、とあるクラスタでは相当の衝撃的ニュースではなかろうか?

しかし、ゆるキャラが引退って或る意味画期的である。

なぜなら

―こんなこと書いたらキャラクター原理主義の人に怒られるかもしれないが―

そもそも
ゆるキャラというは「替えが利く」はずのものなのである。
どういうことかというと、何も特定の一人がそのキャラを演じ続けなくてもいいのである。
逆に言えば、特定の一人が演じる必要がないからこそ、ゆるキャラ…いや、敢えてこのブログだから着ぐるみと言おう、着ぐるみの着ぐるみたるアイデンティティなはずである。

今日の●●ちゃんははじけてるねえ、

今日の●●ちゃんなんか棒立ち…

僕はこれも着ぐるみの一つの醍醐味だと思っている。

不特定多数の人間が、そのゆるキャラになれるからこそ、ゆるキャラなのである。


では何故やななは引退するのか?
あくまでも推測の域を出ないが
やななは演じる人がワンアンドオンリーなのではないか?
つまりその人がいなくなったら、やななが存在しなくなる。
hanyu 021

真実は定かでないが
やななはきっと他の人気ゆるキャラと同じくらいの頻度で、精力的に全国津々浦々のイベントに顔を出していた。
また、他のゆるキャラと違って、30分で「おやつを食べにおうちに帰ります」という名の演者クールダウンもするわけでもなく、
下手すると新幹線の移動までも常にやななのを演じていた。
パートタイムな演者じゃなく、A Day in the lifeそのものがやななだったのである。

他のゆるキャラは或る意味、例えばその地域で中の人が替わっても存在できる。
やろうと思えば全国複数の地で存在を確認させることもできる。

もしこれと同じペースで一人が演り続けていれば、
それは個人の女性にとって相当な負担であろう・・・
これだけやななに身体と魂を捧げていれば
プライベートのかなりの部分をも犠牲にしていたのではないだろうか?


やななに己を捧げるのも悪くはない。
だってこれだけ嬌声と光を浴びていられるのは、自分がやななだからこそ
そしてそれを演じられるのは他の誰でもない、自分なのだけだとしたら
やりがい、手ごたえは相当なもののはず
しかしその一方で、自分としての生活、人生、
そういったものを、振り返ってみたくなるときもあったのではないだろうか
yanana 033

うまく表現できないが
そんな状態自体が萌えなのである。
女性がキャラクターに憑依する
これが胸キュンなのって、判ってくれますか?
(判ってくれないですよね、やっぱり変態です、すみませんw)

汎用性のあるはずの着ぐるみキャラが
一人の演者の引退をもって、一緒に引退をする。
これだけでも、何か特別な思いを感じるのである。