vkcnuljs.JPG前回、こんなことは皆様の人生にとってまったくもってどうでもいいことなんだろうなあ・・・と思いながらも取り上げてしまった「敏いとう」であるが、テイクさんから、今後の僕の音楽人生に「極めて多大な影響を与える」と思われるレスをいただいたので(笑)、ご批判を承知で、も少し彼を取り巻く世界について触れさせていただきたい。


実は、僕はあの「星降る街角」という曲が大嫌いである。

いや、よく出来た佳曲だとは思う。アップテンポで場が盛り上がりやすい。ギターとベースがユニゾンで奏でる「デッ デデッ デデデデデデデデ・・・」というリフはとてもキャッチーで小気味良く、程よくパンチが効いている。ムード歌謡にありがちなヌメヌメ感らしきものがないレアな楽曲と言える。

じゃあ何がイヤなのかと言ったら、あの歌をカラオケで歌う際の流儀である。


まず、テイクさんが触れられた例の「ウォンチュ!」である。ジャンピングジャックフラッシュが源流なのかはまだ確認できていないが、あれがもし、ほんとに「ストーンズに対するムード歌謡側からの一オマージュ」だとしたら、それはあんまりだ。
(日本人に「ウォンチュ」やらせると、みなああなっちゃうのかと、世界内外の人々が想像すると思うと・・・)

うちのオヤジが、昔流行ったバカでかいダブルカセットのラジカセに一人向かい合い、小刻みなリズムを取って、ウォンチュならぬ「ワンツー」(何故か「ワンツー」なんだよな・・・)とノリノリで唄って録音していたのを、幼少時に見たトラウマなのかもしれない。

カラオケで誰かが唄い、みんなで「ワンチュ!」と叫ぶとき、僕はケツの穴がむずがゆくなるような違和感を身体に覚えるのである。



しかしこれだけならまだいい。



いつごろからなのだろうか、あの楽曲に限って「マストアイテム」の様に定着してしまった例の合いの手


かどかどかどかどまがりかど



ありゃなんだ・・・



ひどいときなど、唄っている本人が

「♪あーーーーのまっちかどかどかどかど曲がり角っウォンチュ!」

と最後の「♪かぁーっどぉ~」のフレーズを延ばすことも放棄し、セルフ合いの手打ってしまうケースもある。
(しかもここでまたウォンチュ)

おかまバーで、おかまの皆さんが盛り上げる為に駆使する合いの手なら解る。
(あれはある意味芸術だ)

何故この曲に限って、「ニッポン人なら、合いの手だろうが」とラモスよろしく、半ば強制的に義務づけられてしまっているのだろうか。

空気の読めないヤツが、場が全然盛り上がってないときにこの曲を選んだときの、あのおざなりな魂の入っていない合いの手を見せられた日にゃ、僕は今すぐこのカラオケボックスから飛び出したい尾崎豊的な気持ちになる。
めいめい次唄う曲を探しに歌本めくりながら、歌い手のほうには目もくれず、心ここにあらずでおざなりに「かどかどかどかどまがりかどうおんちゅ・・・」
と虚ろに唱えたりするあのシチュエーションだ。

僕は、この定番化してしまった掛け声を耳にするたび、ケツの穴のみならず全身にむしずが走る覚えがする。


ついでに言うと、

冒頭の
「♪おーん・お・お・お・おんどろおよッ」
の唄いまわしにも僕は違和感を覚える。


普通に唄えんのか・・・



大体、「ハピブル歌謡」の世界は、どうも奇をてらいすぎというか、背中がかゆくなる様な楽曲が多い。

「私祈ってます」もしかり、「よせばいいのに」なんて、詞を冷静に読んだら単に「行かず後家の一人オナニー」じゃないか。

♪だめな、だめな

ほんとに、だめな

いつまでたっても

だめなわーたーしねー(男声コーラス)


って、勝手に一人でいじけてろっ!



くれぐれも、先様の男に迷惑にかけることなきよう、大人しくしてるんだぞ!




(はあ、なんか僕、「人生幸朗」みたいになってます?_|‾|○・・・)